Rise&Fallです。
今日は、2月19日です。
5年位前に買った、デジカメが故障しました。
フジのFinePix F710というモデルで、最近でこそ、出番は減りましたが、
S/R CCDというフジ独特の画像センサーが他には無い色を出してくれるため、
花や風景を撮るときには、欠かせないものでした。
非常に、フジの対応が良かったので、そのことを書き込もうと思いましたが、
その前に、自分のカメラ遍歴のようなものを書き込んでみます。
(私は、冷蔵庫遍歴や掃除機遍歴は書けませんが…)
なぜなら、最近のデジカメは、1年もすると型落ちになり、壊れたら、即、買え替え!
というような感じが、嫌だからです。
これでは、白モノ家電以下ではないと、と寂しい思いをするのは、小さい頃から、カメラが好きだった人なら
分かってもらえるでしょう。
釣り好きな私ですが、多分、釣竿より先に、カメラを持っていたと記憶しています。
私が使っていたのが、死んだ親父が使っていた、オリンパスのペン(Pen EES)というカメラでした。
ペンの操作は簡単で、ピントは目測で、♀(ヒト一人)/♀♀♀(ヒト三人)/凸(山)に合わせてシャッターを押すだけでした。
露出の方は、明るさに応じて、カメラが決めてくれるという、世界初プログラムEEシャッター搭載カメラです。
我が家に残るオリンパス・ペン
世界初!(当時の世界初というのは、何か輝いていますね)
オリンパス偉い!!
だから、幼稚園の頃には、私でもパシャパシャと写真を撮ることが出来ました。
その上、同じフィルムで倍の数が撮れる、ということで、このオリンパスのペンは当時、爆発的なヒット商品となったようです。
写真というのは、なかなか、お金がかかるもので、みんな貧乏が当たり前の世の中だった、ということでしょう。
私は、昔、36枚撮りのフィルム(ということは、72枚撮影)を現像に出して、親父に怒られた事が、何回かありました。現像に、5,000円以上かかったからです。私に払える金額ではありません。
「パシャパシャ撮るな!!」と良く、言われました。
(そういえば、このカメラで、当時、木曜スペシャルで流行った“念写”をしたことを思い出しました)
昭和一桁の親父たちの世代にとっては、写真とは、少し前まで、写真屋さんに撮ってもらうという、ものでした。
それが、高度成長期になって、なんとか、カメラを買うことが出来るようになった。
これで、子どもの成長が記録できる!
ということで、このペンを買ったのだと思います。
そして、世の中には、私の親父と同じような、貧乏だけど、子供の成長を写真に記録として残したいというオヤジがいっぱいいた、ということが、このカメラの売れた理由です。
長男の私の写真アルバムは、結構な数があり。次男のアルバムの数倍です。
また、明治生まれの祖父母にとっては、長男というのは、意識として、今とは違う、別格な存在でした。
いいとか悪いとかではなく、対応が違いましたモン。
小学校の頃、写真クラブに入った私は、まだ、一眼レフなどを買ってもらえませんでした。
ワルツ(Walz)というライカのコピーのようなレンジファインダー(親父からの借り物で、ライカと違いレンズの交換不可)を使っていました。
中学校に入って、「ニコンやキャノンの一眼レフを買ってくれ!」と訴えまいしたが、
昭和50年代でレンズとセットで、7万円以上するものをおいそれとは買ってくるわけはありません。
この時も、オヤジが買って来たカメラを「使っても良い」ということでまるめ込まれました。
左:ヤシカ・エレクトロ 右:ワルツ
それが、ヤシカのエレクトロ35GXという、レンジファインダーでした。
今、思えば、このヤシカ・エレクトロ。良いカメラなのですが、当時の私には、良さが分かりませんでした。
一眼レフのようにレンズが交換できない!
とか、何々が出来ないとか、カタログに踊らされていました。
もっとも、このように踊らされる一般ピーポーという構造は、今も昔も変りませんが!
今、考えれば、このカメラのいいところを、もっと積極的に、オヤジは倅に伝えれば良かったのに、と思います。
伝えなければ、伝わらないのです。
それから、興味は釣りに移り、自分のお小遣いは、釣り道具に変り、自分のカメラを買ったのは、就職してからです。
実は、デジカメの修理について、書いてみようと思ったのですが、
その事は、次回に。